
がん予防と免疫システムの最前線:HSPとdsDNAが担う「がんの芽」への最初の一撃
本記事は、2022年5月に科学誌「Trends in Immunology」に掲載された学術論文「Agents of cancer immunosurveillance: HSPs and dsDNA」を基に構成されています。
がん治療といえば、進行した腫瘍への攻撃が中心と考えられがちですが、実はがん細胞が発生するもっと前から、体はそれに気づき始めています。がんは早期発見が難しく、発見時にはすでに進行していることが多いという課題がある中で、私たちの免疫システムが果たしている「監視」機能が注目されています。今回解説するのは、そんな「がん免疫監視」の最前線で働く2つの分子、HSP(Heat Shock Protein / 熱ショックタンパク質)とdsDNA(Double-stranded DNA / 二本鎖DNA)についてです。最先端の免疫学研究から見えてきた驚くべきメカニズムを、専門用語を丁寧に紐解きながらご紹介します。
なお、本学術論文は、健美スタイルのお薦め記事「【がん免疫療法の進化】第一世代から第五世代の戦略と免疫機構を網羅|がん治療の未来を読み解く」においても、信頼性ある出典として紹介しています。
がん免疫監視とは何か?
体内で日々発生する異常な細胞、それががんになる前に、免疫システムがいち早く察知して排除する。この働きが「がん免疫監視(Cancer Immunosurveillance)」です。がんは突然できるわけではなく、異常な細胞の変化が蓄積した結果です。このプロセスの初期段階で働く免疫センサーこそが、HSPとdsDNAです。特に免疫チェックポイントやナチュラルキラー細胞(NK細胞)などがこのプロセスに深く関わっており、近年の免疫療法にも大きな影響を与えています。
この考え方は、がん免疫監視理論(Burnet & Thomas)に基づいており、科学的にも妥当とされています。HSPとdsDNAがその初期段階のセンサーとして働くという主張は、2022年の『Trends in Immunology』掲載論文に基づいており、前がん段階での免疫活性という新たな視点に沿っています。
がん細胞は黙って死なない:異常の痕跡を免疫がキャッチ
がん細胞が死滅すると、その細胞の中にあった情報が細胞外に漏れ出します。これにはタンパク質やDNA、RNAなどの分子が含まれます。特にHSP(Heat Shock Protein / 熱ショックタンパク質)とdsDNA(Double-stranded DNA / 二本鎖DNA)は、体の免疫システムにとって見過ごせない「異常の痕跡」です。
これらは、DAMPs(Damage-Associated Molecular Patterns / 損傷関連分子パターン)と呼ばれ、細胞の死や損傷に伴って放出されることで、免疫システムに「異変が起きた」と警告を発します。免疫細胞の一種である樹状細胞やマクロファージは、PRR(Pattern Recognition Receptor / パターン認識受容体)を使ってDAMPsを感知し、炎症性サイトカインの放出や抗原提示などの免疫反応を開始します。
つまり、がん細胞の死そのものが、体にとって「危険信号」となり、免疫の作動スイッチを押すのです。この仕組みが、がん免疫監視の第一段階として非常に重要な意味を持つのです。
HSP(Heat Shock Protein / 熱ショックタンパク質)の役割
HSPはもともと、細胞がストレスを受けたときに作られるタンパク質です。正常時は壊れかけたタンパク質を修復したり、品質管理を行う「細胞の修理屋さん」です。しかし、がん細胞が死ぬと、HSPはその細胞特有のタンパク質(=がん抗原)を抱えて細胞外へ放出されます。この現象は、HSP70やgp96などの研究で明らかになっており、がん免疫との関係性が科学的に裏付けられています。
免疫教育に欠かせない「抗原の運び屋」
HSPは、抗原提示細胞(Antigen Presenting Cell:APC)に取り込まれます。APCとは、異物をT細胞に伝える役目をもつ免疫細胞のこと。HSPはがん抗原を届けることで、T細胞が「このがん細胞を攻撃すべき」と学ぶ手助けをします。このとき、HSPは樹状細胞表面のCD91という受容体と結合し、効率よく取り込まれることが知られています。
- HSPはがん抗原を安全に運搬
- APC(例:樹状細胞)がそれを認識し、T細胞に提示
- T細胞が標的としてがん細胞を認識・攻撃
dsDNA(Double-stranded DNA / 二本鎖DNA)の役割
dsDNAは本来、細胞核に閉じ込められているべき遺伝情報です。細胞が壊れた際にこれが漏れ出すと、体は「本来ないはずの場所にDNAがある」ことを異常と判断します。ここで作動するのがSTING(Stimulator of Interferon Genes / インターフェロン遺伝子刺激因子)というセンサー分子です。
正確には、dsDNAは直接STINGに作用するのではなく、まずcGAS(cyclic GMP-AMP synthase)という酵素が細胞質中のDNAを感知し、cGAMPという分子を産生します。このcGAMPがSTINGに結合し、インターフェロンの産生を促進します。これがcGAS–STING経路と呼ばれる自然免疫の重要な機構です。
STING経路が免疫のスイッチを入れる
STINGは、漏れたDNAのシグナルを受け取り、インターフェロン(IFN:Interferon)という免疫活性物質を出すよう指令を出します。これにより、免疫細胞が活性化し、「この場所で異常が起きている」ことを全身に知らせるのです。
- dsDNAが細胞質に漏れる
- cGASがDNAを感知し、cGAMPを生成
- cGAMPがSTINGを活性化
- STINGがインターフェロンなどの免疫活性物質を分泌
HSPとdsDNAは連携して免疫監視を強化する
HSPが「がんの目印」を届け、dsDNAが「異常発生の警報」を鳴らす。この2つが連携することで、自然免疫と獲得免疫の両方が連動してがん免疫監視を強化します。初期のがん細胞に対しても、免疫は的確に対応できるのです。
HSPは主に獲得免疫、dsDNAは自然免疫を刺激する経路を担っていますが、それぞれが異なるレベルで免疫システムを作動させることで、より効率的ながん排除が可能になります。
免疫反応の統合的流れ
- HSP:抗原を提示し、T細胞を教育(獲得免疫)
- dsDNA:cGAS–STING経路を通じて免疫を活性化(自然免疫)
HSPワクチンとは?その免疫メカニズム
HSPワクチンとは、がん由来のHSP(+がん抗原)を利用し、患者自身のT細胞に「がんの敵」を教える治療法です。患者のがんから取り出したHSPを再び投与することで、免疫にがんの特徴を覚えさせ、再発や進行を抑える狙いがあります。この仕組みは、実際に開発されたHSPペプチド複合体ワクチン(例:vitespen)にも採用されています。
自然免疫+獲得免疫のハイブリッド
HSPワクチンは自然免疫と獲得免疫の両方を刺激します。HSP自体が異常のサイン(DAMPs:Damage-Associated Molecular Patterns / 損傷関連分子パターン)として樹状細胞を活性化し、同時にがん抗原を提示することで、特異的なT細胞の攻撃力を高めます。主軸は獲得免疫にありますが、自然免疫との連携が治療効果をより高めるのです。
がんを「芽の段階」で潰す未来へ
この論文が示す最も重要な点は、「がん細胞がまだ育っていない段階」から免疫が反応している可能性を示したことです。つまり、将来的にはがんを発症する前に免疫が働く「予防的免疫療法(prophylactic immunotherapy)」や「前がん状態(precancerous condition)」への介入が実現するかもしれないということです。この視点は、がん治療のパラダイムを変える可能性があります。
医療・研究への示唆
- HSPやdsDNAの免疫活性化機構を応用したがんワクチン開発
- がんの早期検出および予防戦略への応用
- STING経路を活かした免疫賦活剤(アジュバント)の研究
まとめ|がん免疫の「最初の一撃」を理解する
がんは大きくなってから叩くもの、という従来の考え方に対し、この論文は「最初の異変」に気づき「最初に叩く」ことの重要性を示しています。HSP(Heat Shock Protein / 熱ショックタンパク質)とdsDNA(Double-stranded DNA / 二本鎖DNA)は、その「最初の一撃」を担う中心的な存在です。これにより、がんを早期に排除するという免疫の本質的な能力が強調されています。
HSPはがん抗原を運ぶことでT細胞に特異的な攻撃目標を教え、dsDNAはSTING経路(Stimulator of Interferon Genes / インターフェロン遺伝子刺激因子)を通じてインターフェロン(IFN:Interferon)を誘導し、免疫の全体的な活性化を促します。この2つの経路が連携することで、がん細胞を「早期発見・早期攻撃」する体制が構築されるのです。
このメカニズムを理解し応用することで、HSPワクチンなどの予防的免疫療法、再発予防、個別化がん治療への応用も期待されます。つまり、「がんになってから対処する」から「がんになる前に備える」時代へと、がん治療の新たな地平が開かれつつあります。
専門用語一覧
略語 | 正式名称 | 日本語訳 | 役割 |
---|---|---|---|
HSP | Heat Shock Protein | 熱ショックタンパク質 | がん抗原の運搬と提示。免疫教育に関与。 |
dsDNA | Double-stranded DNA | 二本鎖DNA | STING経路を介して自然免疫を活性化 |
cGAS | cyclic GMP-AMP synthase | cGAMP合成酵素 | DNAを感知し、STINGを活性化する物質を生成 |
STING | Stimulator of Interferon Genes | インターフェロン遺伝子刺激因子 | cGAMPを感知してインターフェロン産生を誘導 |
IFN | Interferon | インターフェロン | 免疫を活性化するサイトカイン(情報伝達物質) |
APC | Antigen Presenting Cell | 抗原提示細胞 | T細胞に抗原情報を提示し、免疫を誘導 |
DAMPs | Damage-Associated Molecular Patterns | 損傷関連分子パターン | 細胞損傷時に出現し、免疫を刺激 |
解説者

- 中濵数理, Ph.D.
- 一般社団法人日本再生医療学会 正会員
- 特定非営利活動法人日本免疫学会 正会員
- 一般社団法人日本バイオマテリアル学会 正会員
- 公益社団法人高分子学会 正会員
- 一般社団法人日本スキンケア協会
顧問
- 沖縄再生医療センター(FA7230002) センター長
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